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借金5億の会社を承継、再建へ!
常に選択を正解にしてきたCEOの“決断軸”とは

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#覚悟を決めると仕事の質が変わる#どうしたら幸せな社会人になれるのか

アサヒ・ドリーム・クリエイト株式会社の代表取締役、橋本 英雄氏にインタビュー。
「やりがいに溢れていた」という仕事を辞めて家業を継いだ理由、借金5億から会社を立て直した過程と新規事業の失敗、そして今後の展望まで_たっぷり語っていただきました。まるで映画を観ているような気持ちになる、濃密なキャリアインタビューです。

アサヒ・ドリーム・クリエイト株式会社
橋本 英雄
橋本 英雄社長のプロフィール画像

1992年に関西大学を卒業後、リクルートへ入社。96年、父親が経営する「アサヒ・ドリーム・クリエイト株式会社」へ転職。営業マンとして勤務したのち、2004年代表取締役へ就任。
地域の活動にも積極的に参加し、07年小学校、09年・10年には中学校のPTA会長を務めるなど、活発に地域活動を行っている。

橋本 英雄社長のプロフィール画像

内定ではなく「どうしたら幸せな社会人になれるのか」を見据えた会社選びを

Z世代の仕事観について感じることはありますか?

自分の社会的存在価値と、自己肯定感を紐づけて悩んでいる若者が多いと感じます。
でもそれは悪いことではなく、貢献欲求の高さゆえではないかと思うので、自分がどう貢献したいかがわかったら色々決断できるようになるし、自信がついてくるのではと思います。

「どうしたら就活が成功するか」ではなく「どうしたら幸せな社会人になれるのか」と考えた方がいいですね。内定ではなく、思い描いた社会人になれることがゴールだと思って欲しい
自分が今までどんな時に嬉しかったか、悔しかったか考えながら、できるだけ自分の価値観に近い会社へ入ること。そこでその価値観を磨くことによって、その後の人生が変わってくるんじゃないでしょうか。最初に勤める会社ってめっちゃ大事やと思います。

橋本さんもそうしたことを考えて会社を選ばれたのでしょうか。

はい。就活をしていた頃に「自分はなぜ働くのか」と考えて、たどり着いた答えが「人に喜んでもらうため」でした。
それをキーワードに就活をする中で出会ったのがリクルートです。「情報で人の人生を応援する」というコンセプトのもとで成長してきていることに可能性を感じ、入社しました。

入社後は生徒募集の広告に携わらせていただき、その中で「生徒さんも広告主も喜ばせる」ということを追求しました。
その広告を見て入った生徒さんが思い描いた未来を掴めるように、広告を通じて素敵な生徒さんとの出会いがあるように_そう考えながら働くことはとても楽しかったし、実際にお喜びの声をいただけた時は嬉しかったです。

岐路に立たされた時、必ず「最も不合理な方」を選んできた

リクルートを経て、ご実家を継がれていますね。転職のきっかけは何だったのですか。

バブルが弾けて、経営がピンチになったことです。リクルートでの仕事にも大きなやりがいを感じつつ、その時も人を_親を喜ばせることがちょっとでもできるんやったらと思って迷いなく帰りました。
でも帰ってみたらびっくり。年商が3億5千万に対して借金が5億あり、毎月赤字が増えていくような状況でした。

そこからはとにかく社員を喜ばせることに必死になりましたね。安心して働ける環境に立て直そう、給与を上げて喜んでもらおうと努めました。

どのように立て直していきましたか?

当時メインでやっていたのが斜陽産業だったので、まず事業を現在の主力事業である「販促ツールの製作」へとシフトしました。売り上げは伸ばせたものの借金はほとんど変わらず、金利を返済しては新たに借りての繰り返し。いつまでも借り入れが減らない苦しい時期が10年近く続きました。

そんな時、ある経営者から誘っていただいてセミナーに参加したんです。そこで「今最も不合理だと思う行動をしなさい」という宿題が出まして…考えてみたら、僕にとって最も不合理なのは僕が専務から社長になることでした。

父親の「再建してからでないと譲れない」という反対を押し切り、1カ月後社長に就任。当時でも借金は5億あったので、連帯保証人として全額の責任を負うハンコを捺した時に「もうこれは逃げられないな」と思ったことを覚えています。
もしかすると、それまでは「父親がつくった借金だ」という気持ちがどこかにあって、本気になり切れていなかったのかもしれません。それ以前も寝ずにやっていましたが、覚悟を決めると仕事の質が変わります。その日を境に、さらに頑張れるようになりました。

橋本 英雄社長のインタビュー風景01

不合理な方を選ぶって、勇気のいることだと思います。

その方が成長できるんですよ。より困難な方が成長できるし、その先で人を喜ばせることができると学んだから、必ず困難な道を選ぶようにしています。

ただその結果の失敗ももちろんあります
特にコロナ禍では販促の需要がガクンと落ちて、別に事業を立てなくてはいけないと思ったのと、ちょうど「事業再構築補助金」が出るということでアプリ事業に進出したのですが、上手くいかず、2億円の損失を出してしまいました。
社員に多大なる迷惑と精神的なショックを与えたことは間違いありません。僕のことを信じてついてきてくれた皆には、本当に申し訳なかった。

その後は本業だけに回帰して、固定費をとことん削減。経営方針としても、大きな成長を求めるのではなく「わずかな成長で確実に利益を創出する」ことを目指すようにしました。成長率は1%で、その代わり5%の経常利益を上げられるような仕組みにしていこうと、試行錯誤しています。
事業失敗から2年。ようやく大赤字から大黒字に転換してきて、同時に社員からの信頼も回復しているところです。

100年企業を目指して、事業・組織の両面から成長の土台を築いていく

2度の大きな危機を乗り越えられ、今後はどのように経営していきたいとお考えですか?

僕の夢は、当社を100年企業にすることです。そのために、これまで得てきた知見を活かし、海外に進出していきたいと考えています。

コロナ禍で「ファン創り」の重要性を学びました。知人の飲食店に、コロナ禍でも通っている常連さんがいるというのでお話を聞いてみたら「俺が来ないとこの店潰れちゃうやろ」と言われたんです。本当のファンなら状況関係なくその会社のために動いてくれるのだと知り、僕たちも販促という形でクライアントの「ファン創り」に寄与できないかと考えるようになりました。
日本のマーケットが縮んでいくのに対し、海外には無限のマーケットがあります。アウトバウンドでのファン化支援を軌道にのせられたら、より多くのお客様と社員に喜んでもらえるのではないかと、ビジネスモデルを構築中です。

そしてこの事業拡大を成功させ、会社を発展させていくためにも、経営基盤をより強固にしていきたい。そこで、より当事者意識と責任感を持って働いてくれる「経営者人財」を増やそうと、ホールディングス化も検討しています。
100年企業を目指し、会社の安定的/発展的成長につながる土台を創ってまいります。

橋本 英雄社長のインタビュー風景02
編集後記

数々の困難に直面しながらも「人を喜ばせること」を貫いてきた橋本氏。非常に勇気をもらえるインタビューでした。 橋本氏のお話を聞くに、重要なのは選択肢の内容ではなく「なにを軸に据えるか、いかにブラさないか」なのかもしれません。

軸さえブレなければ、決断も、それを成功にすることもできるはず。改めて「何のために働くのか」自分に問うてみてください。その答えこそが、あなたを強くしてくれることでしょう。

編集:佐藤 由理

「アサヒ・ドリーム・クリエイト株式会社」概要

1963年、朝日化工紙として印刷物表面加工業を創業。95年に現代表取締役・橋本 英雄氏が入社、97年にインクジェットプリント事業を発足、マーケット拡大を図る。

2004年、橋本 英雄氏が代表取締役へ就任。06年「アサヒ・ドリーム・クリエイト株式会社」へ社名変更。機器拡充や新規事業の発足、自社開発特許商品など、新たな挑戦を続けている。

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