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“ゲームチェンジ”していることに
気づけるかどうかが、社会人の明暗を分ける

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#ヒット数での戦い#データサイエンス#理系社長

今回インタビューを受けてくださったのは、データアナリティクスラボ株式会社・近藤 雅彦 氏です。
「自分視点ではなく他者貢献から考えること」「社会人からは打率ではなくヒット数の勝負」など…近藤氏が横浜国立大学を卒業してから創業に至るまでのストーリーには、現代の若者が感じている生きづらさを解消するヒントがたくさん隠されていました。

データアナリティクスラボ株式会社
近藤 雅彦
近藤 雅彦 氏のプロフィール写真

横浜国立大学卒業後、商社での営業職を経て、2004年1月に株式会社サイバーエージェントに入社。同社にて広告事業の営業責任者などを歴任し、その後、子会社の株式会社CCPRの役員として経営に関わる。
18年に独立し、多くの企業の事業コンサルを行う傍ら、複数のスタートアップ企業を立ち上げ、経営に参画。創業した会社を上場企業へ売却するなどM&Aも経験。19年にデータアナリティクスラボ株式会社を創業。

近藤 雅彦 氏のプロフィール写真

「取り残される」焦燥感に駆られ、営業力を磨いた20代

理系の学部ご出身とのこと。1社目に商社を選ばれた理由から伺いたいです。

白衣を着たくなくなってしまった、というのは冗談ですが(笑)
“大学院へ進んで大手に入る”という一般的な理系のレールに乗るのが嫌だったのと、広告に興味を持っていたこともあり、電通と博報堂を受けましたが、いずれもダメだったんです。
そこで、どんな仕事にも営業力は必要ですから、まずは営業力をつけようと思って「西はキーエンス、東の大塚商会」と言われるほど営業が辛いとされていた、大塚商会へ入社しました。

でも、案外すぐに結果を出せてしまって…名前だけでも“こんどうまさひこ”だったからかな(笑)
当時、大塚商会や野村證券からヘッドハンティングされていく流れがあったので、先輩に引っ張られる形でサイバーエージェントへ入りました。

職業能力を身に着けることが目的だったんですね。

1社目はそれくらいですね。
もともと起業したいと思っていたので、2社目では起業へ向けて、スタートアップのノウハウを吸収させてもらいました。

ただ今でこそこんなふうに話せますが、その時はとにかく焦燥感に駆られていた気がします。
僕が大塚商会で一般職から主任になる手前…つまり部下を持っていなかった頃、周りを見渡すと、サイバーエージェントには同世代で50人ほど部下を抱えている人もいました。
その歴然とした差に焦りを感じ「今のままだとヤバい、取り残される」と思ってサイバーエージェントへの入社を決意し、ひたすら働いていました。

自然なサイクルに乗れば仕事は面白く、やりたいことができるようになっていく

その時期を経て、ご自身が満足する域には達せましたか?

はい。そこで学んだ大事なことを、1つお話しますね。

結局「自分がこうしたい/こうなりたい」ということは、願った通りにはならないのだと思います。最初からそこを目指すよりも、与えられた仕事や環境の中でパフォーマンスを出して、周りの人にとって必要な人材になっていくことが重要なんですよ。
周囲が求めていることで成果を出して「あなたに任せたい」と言われる仕事の幅を徐々に広げていく。その過程でスキルが身につき、自分がやりたいことを実現できるようになっていきます。
そうしてある時、社内にいるより社外に出たほうが価値が高いと思えるタイミングが来る。僕はそのタイミングで独立しました。

自己実現は他者貢献の先に見えてくる、と。

実績のない人がなに言っても通らない。仕事は他者評価でしかないので、周囲に認められなければ実現のための権限を持てないし、進んでいくことはできません。
成果を出して周りを納得させることが、自分がやりたいことへの一丁目一番地です。

失敗や挫折はありましたか?

もちろん。何千万と焦がしたとか、10社立ち上げて半分は潰したこととか、数えきれませんよ。
サイバーエージェントを辞めて独立してから手伝っていた会社のうち、1社は売上が順調に伸びたため、事業を売却し成果を上げることができましたが、たたむことになったところも結構あります。

その頃は「色んなものに手を出して、軸が定まっていない」と、ものすごくバカにされました。
でも僕は「他人からバカにされるということは、普通の人はやらないということ。むしろチャンスかもしれない」と思って、辞めずに自分を信じて突き進みました。その結果、データアナリティクスラボが大きくなったんです。

とにかくやることですよ。多くの人は途中で辞めていくので、最後までやり続ければ勝てます。そしてこれはビジネスに限らない、個人のキャリアや人生にも通ずることです。

なにをモチベーションに、厳しい時期を乗り切ったのですか。

でも、すごく楽しかったんですよ。人間って楽しいことをしているとき時間を忘れますよね。そんな感じで、負けたくないから結果を出す/出るまでやることに、無意識のうちに没頭していました
仕事もプライベートもないようなものでしたが、かえってよかったのかもしれません。

仕事とプライベートは分断できるはずがないのに、現代では無理に分けて考えようとしているから、不幸になっているような気がします。
仕事が充実することで成長できて報酬が上がり、報酬が上がるとプライベートがより充実するという自然なサイクルに乗れば、仕事は面白いですよ。

打率ではなくヒット数の勝負になったと気づくことが、明暗を分ける

そうはいっても失敗リスクを考えてしまう人がほとんどではないかと思います。

それは、学校教育に課題があると思っています。
大学までぜんぶ減点法ですよね。100点満点の中で間違えた数が少ないほど評価され、間違いの多い人が評価されることはない。しかし仕事は、間違いが次に活かされるものです。

野球で例えるなら、学生までは打席数=試験数が決まっていて“打率”を高くしないといけない。でも社会に出たら打席数は自分で決められる、成功するまで打ち続けられるんですよ。
つまりヒット数の勝負になるので、三振してもまた打席に立てばいい。むしろその空振りが次につながっていく。

それなのに、減点法で優秀な成績を修めてきた人ほど、ゲームチェンジしていることに気づかず「失敗したくない」と保守的な発想に凝り固まってしまう。
教育課程において「最後までトライし続けた人が勝つ」「失敗することは全然カッコ悪くない」というマインドセットをしてあげることが重要だと思います。

御社の皆さんも、そうしたマインドはお持ちなのでしょうか。

持っていると思います。みんな未経験ながら「データサイエンスの道で頑張りたい」という強い思いを持っている、成長意欲が高い人たちですよ。
事業柄、自分の成長がそのまま顧客満足や給与アップにつながっていくということもあって、みんなで切磋琢磨してやっていくカルチャーがあります。半分“大学の研究室”みたいな雰囲気です。

今後もなるべくベクトルの合っている人を仲間に迎えて、今あるカルチャーを大事に、トライし続ける集団として組織を大きくしていきたいと思います。

編集後記

近藤氏のアグレッシブさに圧倒されたインタビューでした。
なぜそれほどプラスに考えられるのか問うたところ「できないままだとマイナスな感情が残ってしまうが、僕はできるまで続けてきたから、あまり残らないのかな」との返答。最後まで底抜けに気持ちいい方でした。

まずは周囲に求められる自分になること、そのためにできるまでやり続けること。誰にとっても、基本のキこそが未来へ通ずる一丁目一番地です。

編集:佐藤 由理

「データアナリティクスラボ株式会社」概要

2019年に設立後、5年でグループ従業員160名規模まで成長。AI・データサイエンスの領域を軸に成長を続けている。サイバーエージェントや博報堂、ベネッセコーポレーションなど有名上場企業と多数取引を行い、数多くのAI・データ活用支援を手掛けている。

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