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圧倒的ドラマティックな人生を歩む
CEOに学ぶ“主人公としての生き方”

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#存在価値を築く#自分の幸せは自分で決める#アルバイト入社から社長へ

エフエルシープレミアム株式会社/INEST株式会社の代表取締役社長・小泉 まり氏にインタビューしました。
小泉氏は、まだ営業が男性の職業とされていた時代に、身一つで営業に飛び込み、売上を牽引。今なお社員のロールモデルとして挑戦を続けています。 そのルーツや仕事観を紐解いていく中で、“自分の人生を生きる”とはどういうことかが見えてきました。

エフエルシープレミアム株式会社/INEST株式会社
小泉 まり
小泉まり社長のプロフィール画像

19歳の時、現グループの前身となる株式会社エフエルシーに出会いアルバイトをしたのち入社。営業でトップ業績を出し続け、新事業の立ち上げ等も経験。29歳で現会社の代表取締役社長に就任した。
現在は、グループ企業である株式会社プレミアムウォーターホールディングス(東証スタンダード上場)取締役、INEST株式会社(東証スタンダード上場)の代表取締役社長も兼任。

小泉まり社長のプロフィール画像

“女性は事務職”が当たり前の時代に、20歳で飛び込んだ理由

アルバイト入社から社長まで駆け上がったという、ドラマのようなご経歴だなと思いました。当時は相当働かれていたのではないかと推察します。

いえいえ、ありがとうございます。元々社長になろうと思っていたわけではないのですが、成長欲がすごく高いタイプだったので、それに応えるようにキャリアがついてきたという感じです。

短大卒業後、当時ベンチャーだったこの会社に「同世代に負けない、社会で活躍できる人間になろう」「私がこの会社を大きくするんだ」と腹をくくって正社員になったのが、ちょうど20歳の頃。それからは本当に365日働いていましたね。
若かったので“ガムシャラ”という言葉がぴったりくるような…寝ても覚めても自分=会社だという感覚で働いていました。創業期を支えてきた自負がありつつも、私自身も会社と共に成長させていただいたのだと思っています。有難かったです。

売上を最前線で立てなきゃいけない状況の中で、心身ともに鍛えられました。やっぱり量をこなさないと質は高められないですし…当時のたくさんの失敗や経験は、今、私の財産になっていると思います。

小泉まり社長がインタビューを受ける様子

当時女性が営業職というのは珍しかったのではないですか。

そうですね。周りからは変わり者だと思われていたかもしれません(笑)

その頃の就職活動というと、学歴と性別によってスタートラインが決められているような感じだったんです。女性は事務職しかもらえず、まるで“女性はキャリアを積むな”という印籠を渡されているような社会に、私は違和感を覚えました
成績は全国トップでしたから「私を上手く使ってもらえば大きな貢献をできるのに、大企業にはそういう判断をしない人が多いんだ」と。就活で得た大きな学びはそこだったように思います。

だからこそ、エフエルシーに惹かれたんです。お金も人脈もない会社でしたが、そこにいた人たちが本当に素敵で「この人たちと目指す未来の方がワクワクする」と思えたから。
そして私たちが思う正解を世の中の正解にするためには、会社を大きくすればいいんだ。それは自分のためであり、会社のためでもあると…さまざまなことがリンクしたので、すごく集中して仕事に励めました。これが成果を出せた大きな要因かもしれませんね。

お金にも他人にも人生を奪われない
自分の幸せは自分で決める

「そういう時代だ」と諦めることなく、切り拓いてこられたのだと思いますが、その原動力はどこから来ていたのですか。

元をたどれば、家庭環境に起因していると思います。

うちは5人兄弟で、父が起業家だったのですが、私が高校生の頃に自己破産して…金銭的に苦労をしました。
交通費もお昼代も自分でやりくりしなくてはいけなかったので、部活しながら内緒でバイトをしていました。今思えば、その頃から365日学業やバイトに明け暮れる生活をしていたんですね(笑)

自分がやりたいと思ったことはやりたい、でもやるにはお金が必要だから自分で稼ぐという、自立した子どもだったなと思います。

学生の時点でそのように考えられることが素晴らしいですね。

自分の人生をお金に左右されることが悔しかったので。
営業のバイトを始めた時も、週7日、学業以外はほぼすべての時間を使って働いていました。それでも稼げる額には限界があるとわかった時「これ以上稼ぐには、1時間当たりの自分の生産性を上げて自分の時給を上げなきゃいけないんだ」と思ったんです。
時間は増えないし、私は今ある分使い切っているという自信があったので「この方法のままやっていても、これ以上の評価は得られない」と学生時代に気づけたのは大きかったと思います。

そしてそんな時に前身の会社の人たちと出会って。彼らは全然性別も年齢も気にしないし、やったらやっただけ答えてくれるーー「なんて素敵なんだろう、もう最高!」と思いました。
学歴や性別で評価されるような社会で、私が存在価値を築いていくならここしかないと。そう思って入社したし、その想いは原動力にもなりました。

あとは人との出会いですね。
恩師である萩尾さん(※)を始め、前身の会社の先輩方がすごく魅力的だったんです。アッと驚くような視野をもたらしてくれる、それを一緒に見つめられる、個性も価値観も豊かな人たちと出会って、やっと自分らしくなれたというか。
いつも周りと違うことをやって「変わり者」と言われていたけれど、そうじゃない。自分のやってきたことに胸を張っていいんだと、先輩方を見ていて思えました。

自分の力と責任で進み続ける姿勢、かっこいいです。

私は「誰かに自分の人生を幸せにしてもらおう」って思ったことがありません。
自分の人生は自分で責任を持って切り拓くものだし、そうしない限り本当の幸せや成功ってないんだろうなと思っています。

※編集注:萩尾 陽平氏(株式会社プレミアムウォーターホールディングス 代表取締役会長)

「立場関係なく、互いの得意を活かしあう」
社員と手をたずさえ、歩んでいく

今や2社のご代表に…今考えていらっしゃることや、今後の展望を教えてください。

はい。去年私は、プレミアムウォーターホールディングスからINESTという上場企業に移り、その代表も務めています。
投資家様たちがたくさんいらっしゃるので、それはもう待ったなしの日々ですが、今までとまた違った挑戦ができるのは有難く、とても楽しいです。

INESTは、まず今あるリソースで企業価値を伸ばしていきたいと思っています。グループを今の10倍ぐらい大きくして、成果を社員や関わってくださっている方々にお返ししていきたいなと思います。

素敵ですね。そうしたお考えは社員の皆さんに伝えられるのですか?

はい。毎日全社員と話すことは難しいのですが、今は私の直下に新人さんたちを集めた営業部隊を持っているので、彼らとはよくコミュニケーションを取っています。

社長のもとで学べるのは、社員さんにとって良い機会でしょうね。

そうですね。社長だからといって偉いわけではないですし、私自身なんでもできる人間でもないので。
自分が持っている強みが社員のためになるなら活かす、できない部分は得意とするメンバーに助けてもらうーーメンバーとはそんな“持ちつ持たれつ”の関係で、これからも一歩ずつ歩んでいきたいと思います。

小泉まり社長と社員が談笑している様子
編集後記

学生時代の苦労、アルバイト入社から社長就任、そして今なお新たな挑戦をし続ける小泉氏。力いっぱい人生を生きていらっしゃる姿に、勇気を頂きました。
ただし、小泉氏が“人生の主人公”でいられるのは、いつだって自分で選び、行動してきたからこそ。どんなシーンにあっても「自分の人生なんだから」と言い聞かせ、自ら手を伸ばすことは、こんなにも眩しく尊いものなのだと感じました。

編集:佐藤 由理

エフエルシープレミアム株式会社/INEST株式会社

▼エフエルシープレミアム株式会社
2009年創業、セールスプロモーション業界のリーディング企業。ウォーターサーバー「PREMIUM WATER」を販売するほか、各種セールスプロモーションや業務委託販売、通信サービスの販売・取次、コールセンター業務、カウンターセールスなども手掛けている。

▼INEST株式会社
エフエルシープレミアム(株)、(株)アイ・ステーション、Renxa(株)、Linklet(株)、(株)ジョインアップ、(株)ZITTOをグループ会社に持ち、これらの経営管理、ならびにそれに付随する業務を行っている。

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