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コロナ禍を成長機会に変えた
CEOの“機転と情熱”から学ぶ、成功の秘訣

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#できることをやり続ける#ずっと安心して働ける会社を目指して#経営=子育て

株式会社プレコフーズの代表取締役社長、髙波 幸夫氏にインタビューしました。
約70年前に個人商店から出発し、コロナ禍を乗り越えて、今や年商300億円へと迫っているプレコフーズ。顧客を20%失ったコロナ禍でも「必ず事態は好転する」と努力を続けたという髙波氏の情熱から、壁にぶつかった時の乗り越え方を学びます。

株式会社プレコフーズ
髙波 幸夫
髙波 幸夫社長のプロフィール画像

1958年、東京都で生まれる。日本の大学を3ヶ月で中退後、渡米。カリフォルニア州のブルックスカレッジを卒業。
1983年に、両親が経営する有限会社 鳥利商店に入社。1994年、社長就任を機に株式会社プレコフーズに改め、鶏肉専門店から総合食品卸に転換し、年商272億円企業へと育て上げた。

髙波 幸夫社長のプロフィール画像

代表就任と同時に、
会社を子どものように育てる日々が始まった

髙波さんは、一度アメリカで働いたのち帰国し、事業を継承されたそうですね。

はい。ニューヨークで楽しく働いていましたが、父から「会社がダメになった」というSOSを受けて帰国しました。
ニューヨークから再び子どもの頃から見ていた風景に戻って働く日々に忸怩たる思いも感じていましたが、36歳の時ついに会社を譲り受けたんですね。振り返れば、これがターニングポイントだったように思います。
その時から“街の鶏肉専門店を大きく育てる”という、僕の挑戦がスタートしました。

代表取締役社長に就任されてからは、どのように働かれたのでしょうか。

僕が入社した当時は社員数が5名でした。
5名と言っても両親といとこの姉さんの2人、そして僕の家族経営です。そして社長に就任した時は、そこに親族ではない社員がたった1人だけいる6名の会社でした。そこから社員数が40名ぐらいになるまでは、社員の誰よりも早く僕が最初に出社していましたね。

食肉卸売業はとにかく朝が早いんです。社員が出社したらよーいドンで仕事を始められるように、僕は遅くとも5時には出社。お客様からの留守番電話を聞いて、受注処理をしていました。夜は19~20時頃まで、1日14~15時間は働いていましたね。
今の時代にこんなにも長時間働いては色々と問題になってしまいますから、時代の変化を感じます。

必ず事態は好転する”と信じて重ねた努力が、
コロナ禍を成長のバネに変えた

ご苦労されたのですね。

いえ。当時は苦労という感じではなく、むしろ楽しかったですよ。
私が会社を継いでから、社名を鳥利商店から“プレコフーズ”に変更し、会社のロゴを改めてデザインして、ユニフォームも刷新しました。つまり、僕は当社の創業からは2代目ですが、1からこのプレコフーズという会社を育ててきたようなものです。

僕にとって会社を育てることは、大変だけれど面白くてとてもやりがいがある…子育てのようなもの。だから会社愛も尽きないし、嫌になることもありませんでした

髙波 幸夫社長がインタビューを受ける様子

ただ、コロナ禍は大変でした
当社はお客様の90%以上が飲食店なのですが、2020年の緊急事態宣言以降の2ヶ月で、当時24,000軒あった顧客のうち約5000軒が閉店に追い込まれてしまったんです。

お客様を20%以上失っても、売上が3分の1になっても、当社の社員数は変わらない。2ヶ月間で4億円も赤字になり、2020年度だけは年間を通して赤字になりました。
その時初めて「破産するかもしれない」と思った…あの恐怖は凄まじかったですね。

どのようにして乗り越えられたのですか?

恐怖を感じつつも「この状況はいつか必ず終わる」と思っていたので、終わった後のことを考えて戦略を立てようと思いました。そして「今はさまざまな規制があるが故に1店ずつの売上が小さくても、この間にお客様の数を増やしていけば、コロナが明けた後必ず売上が上がる」と確信したんです。

万が一のことを考えて銀行からお金を借り入れつつ、社員と地道に営業活動を続けた結果、コロナ禍が明けて飲食店の景気回復と共に当社の売上も伸びていきました

今年の3月には顧客数が30,000軒を超え、今期の売上は300億円に届くかどうかというところまで成長できました。
絶望的な状況に陥っても、ずっとは続かない。「必ず事態は好転する」と信じて、その時にできることをやり続けることが“乗り越えるカギ”と言えるのかもしれません。

現状に満足せず“企業成長→社員の幸せ”の
サイクルを回してゆく

非常にパワフルに感じます。社員の皆さんにもそうしたガッツを求めますか?

人それぞれで良いと思っています。
一生懸命努力をして活躍したいと考える人もいれば、家族との時間を第一に考えたいという人もいる。営業職はリーダーシップや成果を重んじる一方で、技術職はどちらかというと職人気質で自らのスキルを高めていく雰囲気があります。

みんな違って、でもそれぞれの良さがある。同じ気質を持った人だけの集まりでは上手くいきませんから、色々な人の良さを認め合える組織にできたらいいなと思います。

多様性ですね。

はい。ただ当社の成長の歴史もあって、社風は“仕事も所得も、自ら進んで手を挙げて勝ち獲る”なんですよね。
実際、入社10年以内でグループ企業の社長になった人、20代後半で取締役に就任した人や、新卒から4年5年ぐらいで営業のマネージャーになった人、新卒10年以内で本社の部長まで上がってきた人なども多くいます。

全員に積極性を求めるわけではありませんが、頑張っている人が報われるというのは正しいと思うので、今後もその社風は崩さずにいきたいです。

今後の展望を教えてください。

社員がずっと安心して働ける会社を目指して、今社員の所得改革を進めています。22年には3億円かけて待遇改善をして、平均9.1%社員の所得を引き上げました。今年もまた3億円かけて6.3%ほど引き上げたので、ここ2年で50万円以上年収が上がっているはずです。離職率は減り、応募者は倍以上になりました。

物価が上がる一方の世の中ですから、会社として社員をバックアップしたいですし、社員が安心して楽しく働いているのを見てまた新しい方が入社してくれて、それゆえに売上と利益がさらに上がって、それをまた社員へ還元する…という、正のサイクルを回していきたいです。

編集後記

「子どもを育てるようなものだから、会社愛も尽きないし、嫌になることもなかった」 働くこと自体にこんな想いを持てたら、逆境も困難も力に変えていけるのだと感じました。大事なのは業務内容ではなく、そこへ向き合う“自身の気持ち”なのですね。
髙波氏の仕事への愛はその究極形とも言えますが…まずは仕事との向き合い方を見直してみませんか。それだけでも、気持ちが上向いてくるかもしれません。

編集:佐藤 由理

「株式会社プレコフーズ」概要

株式会社プレコフーズは、業務用食品の総合食品卸。1955年に鳥利商店として創業し、94年に現在の社名に変更した。
都内に20拠点を展開し、食肉、野菜・果物、鮮魚・水産品の生鮮食品から加工食品、冷凍食品まで幅広い食品を提供。また飲食店を知り尽くした衛生サービスと飲食業界の研究とマーケティングのための飲食店経営を行う。
新鮮食材のプロフェッショナルとして、顧客のニーズに応じた提案やサポートも充実させ、飲食業界の発展に貢献している。

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