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「医療業界に、いきいき働ける組織を」
常識を塗りかえ続けるCEOの原体験と仕事観

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#当事者意識#CFOからCEOへ#ビジョナリー

Recovery International株式会社・柴田 旬也氏にインタビューしました。
CFOとしてRecovery Internationalを上場させ、現在同社のCEOを務めていらっしゃいますが、そんな柴田氏も20代の頃は「生活のために働いていた」と言います。
仕事観が変わった理由や、今掲げているビジョンに至るまで幅広くお話いただきました。今後のキャリアに悩み、いまいち頑張れない人にこそ読んでいただきたい記事です。

Recovery International株式会社
柴田 旬也
柴田 旬也社長のプロフィール画像

2007年、あずさ監査法人(現・有限責任あずさ監査法人)へ入所。12年に公認会計士となる。 16年よりRecovery International株式会社へ、経営管理部の部長として入社し、18年に取締役となる。
23年に経営管理部を管掌したのち、2024年3月に代表取締役社長へ就任、現在に至る。

柴田 旬也社長のプロフィール画像

リカバリーでの経験は、“仕事観”転換のきっかけとなった

柴田さんは20代の頃どのように働かれてきましたか?

実は、20代の頃はあまり熱がなくて。Recovery International(以下、リカバリー)入社当初も「生活のために働く」という考えだったし、日曜になれば「明日仕事いやだな」と思う、典型的なサザエさん症候群でした(笑)

なにをきっかけに変わったのでしょうか。

きっかけは2つあります。

1つは、僕のせいでリカバリーの管理部の一部メンバーが辞めてしまったこと。
もともとは平和なバックオフィスだったのに、突然管理部長として入社した僕が「スタートアップがIPOを目指すのなら、0時を超えようが仕事を終わらせて帰るのが普通でしょ」などと自分の考えを押し付けてしまった結果、大切なメンバーが辞めてしまう事態になりました。
仲間を失ってやっと、自分の正解は世間の正解でも、リカバリーの正解でもなかったんだと気づき、自分が変わらなくてはいけないと思いました

また、そもそも会社って、社長1人から始まりますよね。お客様や業務が増えると自分1人では回らなくなるから、人を採用して任せるようにする。そうして従業員が増えていくにつれ、組織が階層化していくという構図だと思います。
つまり僕は“社長ができない代わりに管理部を見ている”わけなので、社長と同じ気持ちでいないといけないなと思ったんです。そうでないと会社も大きくならないし、社長も僕に任せたいと思わないだろうなと。

社長の視点に立って考えると、自分の正解を押し付けないということはもちろん、管轄である管理部もそうでない業務部も同じように大事にしなきゃと思ったんです。
そうして「これからは社内のどんなことにも当事者意識を持って向き合おう」と決めたことが、ターニングポイントになりました。
これが2つ目のきっかけですね。

ある時、沖縄の事務所で看護師2人が揉めていて、辞めてしまうかもしれないということがありました。
それまでの僕なら「沖縄大変そうですね、業務部頑張ってくださいね」と他人事にしていたところを「社長なら、時間があれば自分が行って二人の話をきいてあげるだろうな」と考え、2人と話すために沖縄へ行きました。その看護師たちとは話したことがあったので、僕が間に立つことでなにか変わるかもしれないなと思ったんです。

柴田 旬也社長の笑顔の写真

素晴らしいですね。

でもそれって2人のためにしているようで、僕のためにもなったんですよね。自分にできることはないかと考えるのって、前向きじゃないですか。
意識的にそういう考え方をしているうちに、仕事を楽しいと思ったり、熱量を持って取り組んだりできるようになっていきました。

今思えば、リカバリーが僕を変えてくれたのかもしれません。

「医療業界に、いきいきと働ける組織を」
創業者から受け継いだ想い

CEOに就任され、この半年間を振り返ってみて、いかがですか。

以前から社長のつもりでやってきたので、意識やプレッシャーはほとんど変わりません。ただ、会う人は変わりました。

やっぱり社長は社長に会うことが多いし、そうした中で視座が上がっていると感じます。
例えば、お会いした社長に5~10年後のビジョンをお話しすると、全否定されることもあって(笑)
これはCFOの時にはなかった経験で、有難いなとか耳が痛いなとか思いながら、僕自身もとても成長させてもらっています。

今後会社をどのようにしていきたいとお考えですか?

いくつかあるビジョンのうちの1つは、在宅医療においてしっかりとテクノロジーを活用し、みんながいきいきと働ける環境をつくりたいと考えています。
そのために事業ドメインを整理したり、新しい事業や提携、M&Aを検討したり。5~10年スパンで目標を決めて、逆算思考で詰めているところです。

いきいきがベースなんですね。社員の皆様との関わり方についてのお話を伺い、一人ひとりを大事にされていることがよくわかります。

はい。これは、創業者の大河原の考えからです。
病院は縦社会の文化が強く、民間企業と比べて労働環境が芳しくない…看護師だった大河原は、そんな医療業界に“社員がいきいきと働く組織をつくりたい”と考えて、創業を決意した経緯があります。
また上場を目指したのも「そんな組織が医療業界にあると社会に知ってもらいたい」という想いからです。

いきいき働けること自体素晴らしいことだし、そんな組織があると社会に知れたら「うちもそんな病院にしよう」と連鎖していき、看護師をはじめ医療職種の方々がより多くの患者様と関われるようになっていくでしょう。それは超高齢化社会における課題解決の要素にもなりうるだろうと。

だからこそ、社員の働く環境を整えること。これには非常に注力しています。

上場しても社会は変わらなかった_
ビジョン実現へ向けて、歩み続ける

創業者の理念に、柴田さんも共感されていると。

はい。実は僕の妻が医師でして、毎日病院の話を聞くし、働き方もそばで見てきました。
例えば、0時を回って帰ってきたはずの妻が、僕が5時に起きたら普通に家で仕事をしていて…寝ていないんだなと。心配じゃないですか。

また長女が生まれてからは「お母さんの背中を見て、医療系に進みたいと言う可能性が高いな」「その頃には環境や働き方が変わっているといいな」とも思うようになりました。

そんな時に大河原と出会って先ほどの話を聞いて…めちゃくちゃ共感したんですよ。
彼と一緒に社会を変えられるかもしれない、“いきいき働ける医療業界”という世界観を実現できるかもしれない。そうしたら、うちの子が医療系の職種に就いたときに楽しく働けるなと、色々なことがつながって入社に至りました。
この先もこの想いや考え方はずっと変わらないと思います。

自社のことだけではなく、業界や社会を変えていきたいという想いが強いのですね。

そうですね。上場したらなにか変わるかなと思ったのですが、社会はなにも変わらなくて。
「もっと大きくならないと社会には気づいてもらえない」と痛感したこともあり、10年スパンで計画を立てて、その実現へ向けて歩んでいます。まだまだリカバリーは道半ばです。

編集後記

柴田氏の話を伺いながら、人を成長させるのは“挫折経験”であり、人を仕事へ向かわせるのは“ビジョン”なのだと思いました。
柴田氏がRecovery International株式会社での経験を経て今に至っているように、夢中になれるビジョンを見つけることは容易ではないでしょう。しかしだからこそ、目の前のことと全力で向き合い、その一つひとつを成長の糧としながら進んでいきたいと思います。

編集:佐藤 由理

「Recovery International株式会社」概要

2013年、訪問看護サービスの提供を目的として設立。翌年より、東京・兵庫・高知・沖縄など、全国へ拠点を拡大。22年2月、東証マザーズへ上場した。(同年4月にグロース市場へ移行)

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